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雑想 Archive
「探す」ということ
- 2010-06-04 (金)
- 雑想
仕事でも私生活でも、何かを「探す」ということは多々あると思います。
実は、私はこの『探す』という行為があまり好きではありません。
多くの場合、見つからなくてイライラしたりすることの方が多かったりします。
あそこにしまったハズなのに・・・、ここに入れておいたハズなのに・・・などなど。
自分の記憶力の弱さもありますが、見つかるまでの時間が非常に腹立たしく思うことがしばしばあります。
見つかれば一安心ですが、長時間費やして見つからずじまいということもあったりします。
■ ググる
『ググる』という言葉があります。
Googleで検索して調べるといったような意味合いで使われています。
これも『探す』行為に該当するのですが、これは意外と苦にならなかったりします。
むしろわからないことは積極的に『ググる』習慣もつきました。
もちろん、見つからないことも多々あるのですが、思わぬ情報が見つかることもあるのです。
特にウィキペディアは情報探しのつもりが余計なものまで読み始めてしまったりします。
■ 宝探し
『宝探し』という行為があります。
これもどうかと思います。
ゲームや実際にもあることではあります。
RPGなどでやらされると、これまたイライラするのです。
隠し財産や隠された秘宝などと言うと、ちょっと神秘的な感じはします。
隠された、秘密の、謎の、といったものを探すという行為に魅力を感じる人も多いかもしれません。
ですが、私的にはそれらを探すことにはあまり興味がなかったりします。
■ 『探さない』ということ
と、『探す』という行為は日常によくあることですが、あえて『探さない』という選択肢も良いのではないかと思ったりします。
探さないという割り切りも時には必要なのかな、と思ったりします。
何かを探そうとした時、『探す』→『見つかる』という一連の流れが最良と思っていました。
ですが、『探さない』ということから新たな結果を模索するということも時には最良になり得るのではないかと思います。
例えば、『探す』という行為に長時間費やした結果、『見つかる』という状態になったとしても、『探さない』という選択をしてその長時間を別の有意義なことに費やすことが出来たのなら、『探す』という行為が最良とは限らないと思います。
隠された財宝も、見つからないから魅力的なのです。
物事を進めるにはいくつかの道があると思います。
どうも1本道しか見えないことが多い私ですが、ほんの少しの発想の転換で全く違う道が見えると思うのです。
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謎の使いかけと使い切りたい衝動
- 2010-05-27 (木)
- 雑想
学生の頃、学校である話しを聞きました。
それは、トイレでトイレットペーパーがなぜか使い切らずに紙が少し残った状態でいくつも残っている、と。
特にトイレットペーパーの巻きの最後の方は質が悪いとかそういうことも無いような気がするのですが。
なぜか、巻きが少なくなったものがいくつも残されていたそうです。
その話しを聞いて以来、なぜ使い切らずに新しいモノを使うのかずっと謎でした。
といっても、その謎が解決したわけではありません。
相変わらず謎のままなのですが・・・。
実は、職場で使っている紙があるのですが、なぜか残り少なくなったものが使い切らずに残されていて新しいモノを使っている状況をたまに目にします。
私は、逆に使い切らないと嫌な性分なので、むしろ残り少なくなったモノを優先的に使ったりします。
そして、綺麗に使い切るとなんとなく満足感があったりします。
トイレットペーパーの件でいえば、『巻きが少なくなった=色々な人が使った』ということでなんとなく嫌な感じがするのかもしれません。
ですが、使い回して使うモノではありませんので特に気にするほどのことは無いように思います。
なんとなく、使い始めの新しさ感で使いたいのかもしれません。
衛生面を気にしたりする、というほどではないかもしれませんが何となく巻きが小さくなってるのは嫌なのかなと思います。
このへんは、良い悪いではなく単純に各個人の性分によるものなのかもしれません。
職場の紙もなんとなくおろしたての新しさ感、使い始めの1番感といったものを味わいたいのかもしれませんが、単に新しいのがあるから新しいのを使っているだけなのかなと思います。
逆の立場からすると、『何でそんな残り少ないのを使うの?新しいのを使えばいいじゃない。』ということになるのでしょうか。
こういうことを気にしてしまうのは少し神経質過ぎる感じですね。
使い切ったから良い、使い切らないから悪いというわけではありませんが、何となく気になってしまうのです。
永遠に平行線を辿り、結論のでない議論が続きそうな気がする問題です。
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面白いけどやってる時間をなんとかしたい危険なモノ
- 2010-05-22 (土)
- 雑想
平日は、帰宅後からTwitterへと顔を出し、、、
そして、ここ最近の週末は毎週のようにFFXIへとログインしています。
ほぼ1週間の仕事以外のサイクルがこの2つになりつつある今日この頃です。
どちらもやり始めると恐ろしいほど早く時間が経ってしまいます。
Twitterなどは大してつぶやいていないと思っていても気がつくと1時間、2時間と経っていたりするのです。
休日の朝、FFXIを始めるとそのままお昼になり、昼食で時間を再認識し、午後のログインへと続くのです。
午後は午後で食事など止まってすることが無いのでそのまま夕飯へと続きます。
そして、それを2日繰り返しまた月曜日がやってくるわけです。
こうして書いていると時間の使い方を何とかしたいと思うのですが、やり始めるともう止まりません。
他のことをやろうとすると気になって仕方が無くなったりします。
Twitterの方はふとしたところでやる気が無くなって数日ほったらかしになることもあります。
FFXIも平日はほぼログインしません。
平日は、不思議とやる気も起きなくなります。
休日モード、平日モードが明確になっているだけまだましなのかもしれません。
ハマると延々と食べ続けたり見続けたり・・・と、し続けるクセがあるのですが、いったん醒めるとあるところからパッタリ止めてしまうクセもあったりします。
そんな飽きる時が来るまで我慢せずにやってしまう方が精神的にもよろしいのではないかと思うのは、昔からの甘いところです。
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