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雑想 Archive

エアコンのある生活

6月になり最近ではずいぶん暑くなってきました。
まだうちの方では梅雨ですが、梅雨が明けるとさらに暑くなるでしょう。

そんな毎年の夏ですが、かれこれ5年くらい前まではエアコンの無い生活をしていました。
今では考えられないことですが、夏場に室温が42度を記録した時もありました。

扇風機などろくに役に立たず、暑い中、汗をかきまくりながら部屋でパソコンをやっていたりしたのです。
その後、引っ越しを機に部屋にエアコンが入りました。

それはまさに楽園のような夏でした。

もちろん、職場にエアコンはありましたし、電車には当然付いていますので、まったくエアコンと無縁の生活というわけではありません。
ですが、『自室』に付いたというのが私の電化製品の歴史で画期的な出来事でした。

昨日、一昨日の休日もまったく止まることなく2日間動いていました。
出かける時はさすがに消しますが、相変わらずの出不精なので家にいました。

現在は、夏と冬に使っているエアコンですが、冬はともかくとして夏に無いのは考えられない状況になっています。
かつては、前述のように夏の猛烈な暑さを耐え忍んでいたのですが、すっかりゆるゆるになっています。

もし、エアコンが故障して動かなくなったら・・・という事態は恐ろしくて考えたくありません。

とはいえ、夏の暑さも情緒といえば情緒なので、その暑さを満喫するのもありかと思います。
たまには夏の暑さに身を任せて過ごす休日も悪くないかもしれません。

エアコンの快適さにすっかり慣れてしまった自分に耐えられるかどうか疑問ではありますが・・・。


オタクと呼んでいいものかどうか。

最近、自分が『オタク』の領域までいっているのかと、Twitterなどをやりながら思います。

 link >>  おたく – Wikipedia


アニメは良く見ますし、フィギュアも買います。
漫画も読みますし、ここ数年はラノベも読み始めました。

カメラも機材を揃えたりしますし、パソコンも自作をそれなりにやっています。
ゲームは、ほぼFFXIしかやっていませんが、すでに8年近くこればかりやっています。

と、このへんが○○オタクになり得るところかな、と思います。

オタクの定義は、ウィキペディアの内容からすると・・・

  1. こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」
  2. 「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」


という感じらしいです。

この定義だけでいえば、上記はどれもオタクとして呼んでいいような気がします。
ですが、個人的なオタクの語意は、もっとディープで専門的な感じの領域まで踏み込んでいる状態を指しているように思います。

全く興味のない人から見れば、オタクとして通用するかもしれませんが、その分野の好きな人の中ではエセオタクであると思う時が多いです。

例えば、今春から始まった『けいおん!』というアニメがありますが、2期目でありながら初めて見ました。
それまではキャラクター名も知らずにいたのに、ほんの数話見ただけで以前からそのアニメを知っているような素振りを見せたり・・・。

FFXIも8年近くやっていながら、今ひとつ知らないことが多かったりします。
フィギュアも結構買っていて、なおかつそれなりに部屋に飾りながらも大したうんちくも語れません。

そんなことを思っていると、○○オタクと言うことすら憚られる感じです。
この『うんちく』をどれだけ語れるかというのもオタク度の重要な指針ではないかと思います。


オタクという言葉が生まれた初期の頃からその言葉を知っていると、あまりその言葉に良い印象はないかもしれません。
私も最初の頃はあまり良い印象はありませんでした。

ですが、いつの頃からかあまり気にしなくなりました。
気にするのもおかしい気がして、どうでも良くなりました。

ところが、言葉を気にしなくなると、今度はその言葉がふさわしいかどうか気になり出したのです。

先にも書きましたが、全くその趣味を知らない人からオタクと呼ばれても『ああ、そうですね。』で済みます。
しかし、その分野を好きな人の中で本当にオタクであるのかどうかがかなり怪しいのです。

時々、やること成すこと全てがエセに思えてしまうような時もあります。
あらためて自分の趣味を顧みたとき、どれもこれもがエセオタクであるような気がしてならないのです。

わざわざオタクと呼ばれたいと思うことはありませんが、『○○オタクですか?』と言われたときに『そうです。』と胸を張って言える領域にいっていない自分の趣味の中途半端さを痛感する今日この頃です。


iPhoneとiPad、個人的には・・・

最近話題の2製品です。
個人的には、iPhoneは欲しいですが、iPadはちょっと・・・という感じですね。

仕事帰りの電車内にてiPadを使っている人を見かけました。
何か本を読んでいるようでしたが、あまり羨ましいという感じはしませんでした。

この2つ、私はどちらも使ったことがありませんので機能的にどうなのかということはわかりません。
ですが、1番のポイントは、その大きさにあると思います。

iPadの大きさは、持ち歩くには少々大きい気がします。
カバンには入る大きさですが、ポケットには入りません。

ここが分かれ目だと思うのです。
ポケットに入るかどうかが手軽に使えるかどうかのところだと思います。

家で寝転がって使うにしても、その大きさから画面は見やすいと思うのですがちょっと辛いかなという気がします。
その点、iPhoneのサイズであれば、ポケットにも入りますし寝転がっても簡単に操作ができそうな感じがします。

iPadは、モノとしては面白いと思うのですが、意外と使い道が限られてしまうような気がします。
iPhoneのように様々な場所で手軽に情報を得たりするにはちょっと使いにくい感じです。

手軽に使うサイズとしてはiPhoneのひとまわりかふたまわりくらい大きいサイズが限度かなと思っています。
もう、何が出来るかよりも大きさで興味がなくなったと言っても過言ではないかもしれません。

そんなiPhone、iPadですが、auユーザーである私にはなかなか羨ましい存在ですね。


ポジティブシンキングとネガティブシンキング。

まったくもって気分の変動の激しい私であります。

毎日のブログ更新も特にコレといったネタが思い付かない時はたいてい気分がのっていません。
逆に気分がのっているとアレやコレやと話のネタが沸いてきたりします。

まぁ、その内容が面白いか面白くないかは別として・・・。

リアルタイムに何かを書く時は、多くの場合その時の気分が反映されます。
特にツイッターなどはその傾向が顕著です。

面白い事を思い付くにはやはりポジティブな考え方をしているときが多いです。
ネガティブ思考の時は、どれだけ考えてもツマラナイことしか出てきません。

昔からの思考の傾向がどうもネガティブに偏っている私ですが、時にはポジティブになったりもします。
その機会はあまり多くはありませんが、そうなると相当の力が発揮されていると思われます。

仕事もしかり、趣味もしかり。
私の場合、特にクリエイティブなことをするときにポジティブシンキングは重要に思います。

また撮影の話しで恐縮ですが、気分ののっている時に撮影した写真は自分でもなかなかのお気に入りになったりしています。
この、『のっている』というのが年に何回も無いのが辛いところでありますが・・・。

なかなか感情のコントロールというのは難しいのですが、物事を前向きに考えるというのはあらゆる場面で実践したいと思っていることです。
ついつい後ろ向きに考えてしまいがちな私ですが、そんな時だからこそ前向きに考えられる心の余裕を持ちたいのです。

「探す」ということ

仕事でも私生活でも、何かを「探す」ということは多々あると思います。
実は、私はこの『探す』という行為があまり好きではありません。

多くの場合、見つからなくてイライラしたりすることの方が多かったりします。
あそこにしまったハズなのに・・・、ここに入れておいたハズなのに・・・などなど。

自分の記憶力の弱さもありますが、見つかるまでの時間が非常に腹立たしく思うことがしばしばあります。
見つかれば一安心ですが、長時間費やして見つからずじまいということもあったりします。


■ ググる

『ググる』という言葉があります。
Googleで検索して調べるといったような意味合いで使われています。

これも『探す』行為に該当するのですが、これは意外と苦にならなかったりします。
むしろわからないことは積極的に『ググる』習慣もつきました。

もちろん、見つからないことも多々あるのですが、思わぬ情報が見つかることもあるのです。
特にウィキペディアは情報探しのつもりが余計なものまで読み始めてしまったりします。


■ 宝探し

『宝探し』という行為があります。
これもどうかと思います。

ゲームや実際にもあることではあります。
RPGなどでやらされると、これまたイライラするのです。

隠し財産や隠された秘宝などと言うと、ちょっと神秘的な感じはします。
隠された、秘密の、謎の、といったものを探すという行為に魅力を感じる人も多いかもしれません。

ですが、私的にはそれらを探すことにはあまり興味がなかったりします。


■ 『探さない』ということ

と、『探す』という行為は日常によくあることですが、あえて『探さない』という選択肢も良いのではないかと思ったりします。
探さないという割り切りも時には必要なのかな、と思ったりします。

何かを探そうとした時、『探す』→『見つかる』という一連の流れが最良と思っていました。
ですが、『探さない』ということから新たな結果を模索するということも時には最良になり得るのではないかと思います。

例えば、『探す』という行為に長時間費やした結果、『見つかる』という状態になったとしても、『探さない』という選択をしてその長時間を別の有意義なことに費やすことが出来たのなら、『探す』という行為が最良とは限らないと思います。
隠された財宝も、見つからないから魅力的なのです。

物事を進めるにはいくつかの道があると思います。
どうも1本道しか見えないことが多い私ですが、ほんの少しの発想の転換で全く違う道が見えると思うのです。

謎の使いかけと使い切りたい衝動

学生の頃、学校である話しを聞きました。
それは、トイレでトイレットペーパーがなぜか使い切らずに紙が少し残った状態でいくつも残っている、と。

特にトイレットペーパーの巻きの最後の方は質が悪いとかそういうことも無いような気がするのですが。
なぜか、巻きが少なくなったものがいくつも残されていたそうです。

その話しを聞いて以来、なぜ使い切らずに新しいモノを使うのかずっと謎でした。


といっても、その謎が解決したわけではありません。
相変わらず謎のままなのですが・・・。

実は、職場で使っている紙があるのですが、なぜか残り少なくなったものが使い切らずに残されていて新しいモノを使っている状況をたまに目にします。

私は、逆に使い切らないと嫌な性分なので、むしろ残り少なくなったモノを優先的に使ったりします。
そして、綺麗に使い切るとなんとなく満足感があったりします。

トイレットペーパーの件でいえば、『巻きが少なくなった=色々な人が使った』ということでなんとなく嫌な感じがするのかもしれません。
ですが、使い回して使うモノではありませんので特に気にするほどのことは無いように思います。

なんとなく、使い始めの新しさ感で使いたいのかもしれません。
衛生面を気にしたりする、というほどではないかもしれませんが何となく巻きが小さくなってるのは嫌なのかなと思います。

このへんは、良い悪いではなく単純に各個人の性分によるものなのかもしれません。
職場の紙もなんとなくおろしたての新しさ感、使い始めの1番感といったものを味わいたいのかもしれませんが、単に新しいのがあるから新しいのを使っているだけなのかなと思います。

逆の立場からすると、『何でそんな残り少ないのを使うの?新しいのを使えばいいじゃない。』ということになるのでしょうか。

こういうことを気にしてしまうのは少し神経質過ぎる感じですね。
使い切ったから良い、使い切らないから悪いというわけではありませんが、何となく気になってしまうのです。

永遠に平行線を辿り、結論のでない議論が続きそうな気がする問題です。

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